秩父銘仙(めいせん)は、崇神天皇の御代に知々夫彦命が住民に養蚕と機織の技術を伝えたことが起源と言われています。秩父は山に囲まれた地形で、稲作に向かないことから、昔から養蚕業が盛んでした。その中で規格外の繭を使い「太織」と呼ばれる野良着を生産。その太織が評判を呼び、「鬼秩父」とも呼ばれ大衆の普段着として好んで使われてきました。その後太織は「秩父銘仙」と名前を変え、「ほぐし捺染」という前もって荒らく仮織りした白の縦糸(たていと)に型紙を置き染料のついた刷毛で刷り、色を重ねて染色し、それをほぐしながら織っていく独自技法の開発により、大胆で華やかなデザインの織物になりました。
秩父銘仙は、平織りで裏表がありません。たとえ表が色褪せても裏を使って仕立て直しができるのが特徴のひとつです。着物としての役目が終わった銘仙を半纏の素材として使用し、その後赤ちゃんのオシメへと生まれ変わり、最終的には雑巾としてその役目を終えるまで使いこなすことができます。さらに、秩父銘仙の特徴として、玉虫色の光沢があげられます。これは、たて糸とよこ糸に異なる色を使い、それが補色に近い組み合わせになればなるほど際立ってきます。
秩父銘仙は、明治中期から昭和初期にかけて、ほぐし模様が人気の女性のおしゃれ着でした。当時は養蚕業などを含めると市民の約七割が織物関係の仕事に関わっていたと言われ、 まさに秩父地域の基幹産業でした。今でも、昔ながらの技は受け継がれており、 和服・座布団・小物などが、秩父のお土産品として有名です。
参照元:
ちちぶ銘仙館ホームページ http://www.meisenkan.com/
日本伝統文化振興機構ホームページ http://www.jtco.or.jp/japanese-crafts/?act=detail&id=193&p=2&c=16