燕槌起銅器(新潟県)

鎚起とは「鎚」で打ち「起」こすの意。一枚の金属素材を焼きなましを繰り返しながら様々な鎚を用い打ち延ばし(もしくは打ち縮め)、銅の優れた伸展性を利用し、継ぎ目の無い器物を作る鍛金技術で、打物(うちもの)と呼ばれています。燕の「鎚起銅器(ついきどうき)」は、江戸時代の明和年間(1764~1771年)に、藤七という渡り職人が仙台より同地に伝承し、家庭用の水差し・湯沸・花器・鍋など日用品の製造から始まり、今日まで発展してきました。燕の地で盛んになった理由には、近郊の間瀬に銅山があり、唯一その精錬所が燕に存在したことがあげられます。明治維新以降は各地との技術交流を盛んに行い、彫金技術を含めた美術工芸品としての地位を確固たるものにしました。また、これが今日の新潟県燕市の金属加工業の発展の基盤ともなっています。

現在、この技法を伝承しているのは燕市でも株式会社玉川堂のみ。また、銅に多彩な着色を施す技術は世界でも玉川堂のみが保有しており、世界最高品質の銅器を製造しています。同社は、明治6年(1873年)、日本が初めて参加したウィーン万国博覧会に出品し、燕鎚起銅器の名を世界に知らしめました。それ以降戦前まで、約30回国内外の博覧会に出品し、多くの賞を受賞しています。また、2008年に玉川堂の店舗・土蔵・鍛金場・雁木が、国の登録有形文化財(建造物)に登録されただけでなく、新潟県より「新潟県無形文化財」、文化庁より「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」、経済産業大臣(旧通商産業大臣)より「伝統的工芸品」に指定されています。

参照元:
燕市産業史料館ホームページ http://www.city.tsubame.niigata.jp/shiryou/honkan_tsuiki.html
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B7%9D%E5%A0%82
株式会社玉川堂ホームページhttp://www.gyokusendo.com/

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