大谷焼(徳島県)

 大谷焼(おおたにやき)は徳島県鳴門市大麻町において制作される陶器です。大谷焼は、江戸時代後期の安永9年(1780年)に、四国八十八カ所霊場の巡礼に来た豊後の国(現・大分県)の焼き物細工師・文右衛門が大谷村(当時)を訪れ、はじめてロクロ細工を披露し赤土で焼き上げたことが始まりと言われています。

 当時、阿波の国(徳島県)では焼き物は非常に珍しく、その精巧な技が時の12代藩主・蜂須賀治昭公の目に留まりました。治昭公は大いに影響を受け、他に南京・唐津と呼ばれた磁器を焼くよう命じ、九州より職人を招いて天明元年(1781年)大谷村に藩営の窯(藩窯)を築きました。これが阿波で始めて染付磁器が焼かれることになったきっかけとなります。

 大谷の土は鉄分が非常に多く、ざらりとした風合いに加え、微かに金属的な光沢を感じさせる質感が素朴な土の味わいを醸し出します。一般的にこげ茶色の作品が多いですが、深い銀色や灰色の作品も見られます。また、製法にも特徴があります。男性の身の丈ほどもある大甕などの大物陶器を作る際において「寝ロクロ(助手が作業台の下に寝ころび足で蹴ってロクロを回す)」が有名で、これらの陶器を焼き上げる「登り窯」の大きさは実に日本一と言われています。

参照元:
徳島県物産協会ホームページ http://tokushima-bussan.com/crafts/otaniyaki/

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