山形鋳物(やまがたいもの)は、山形県山形市とその周辺に伝わる伝統技術で作られた鋳物製品の総称です。平安時代後期に東北でおきた前九年の役(当時の陸奥の豪族・安倍頼時とその子貞任・宗任らが起こした反乱を、朝廷が源頼義・義家を派遣して平定させた戦役)後、源頼義軍に従軍した鋳物職人達が、馬見ヶ崎(まみがさき)川の砂や付近の土が鋳物に適していることを見つけ、その地に留まり鋳物づくりを始めたことがその源流と言われています。
江戸時代に入ると、山形城主第12代・最上義光(よしあき)は、商工業の発達を目的に城下町を大きく再編。馬見ヶ崎川の北側に火を扱う鍛治町と銅町を置き、他の職人町と同様に人足役を免除して優遇しました。このことが山形における鋳物産地としての基礎をつくり、また今日の日本における工業団地の始まりとなりました。
山形鋳物を代表するは茶の湯釜や鉄瓶等の茶道に関するもの。独特の鋳型作りや文様押し、肌打ち等の非常に手間のかかる伝統的技法により、薄物で繊細な肌と形の正確さを表現していますが、そのことが、茶道の世界や趣味人らから愛され続ける理由の一つとなっています。これは、今日茶道で使われる茶の湯釜の大半が山形産の鋳物であることの裏づけであるとも言えるでしょう。
参照元:
山形県ホームページhttp://www.pref.yamagata.jp/ou/shokokanko/110010/kogeihin/sp01-1.html
東北経済産業局ホームページhttp://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/yamagata_01.htm