豊橋筆(とよはしふで)は、愛知県豊橋市近郊で生産されている筆の総称で、広島筆や奈良筆と共に「日本三大筆」と呼ばれています。江戸時代後期の文化元年(1804年)、当時この辺りを治めていた吉田藩の藩主が京都の筆職人・鈴木甚左衛門を筆匠(ひっしょう)として招き、下級武士の副業として筆作りを奨励したことに始まると言われています。また、穂首(ほくび:筆先の毛の部分)の原材料となる狸やイタチなどの獣毛が容易に入手できたことも幸いし、一大産地として発展していきました。吉田宿(豊橋市近郊)は東海道五十三次で江戸側から数えて34番目の宿場町。多くの旅人の往来により、作られた筆は地元近辺だけでなく、全国へと徐々に広がっていきました。明治初年に廃藩置県が発せられた頃、筆作りを覚えた武士の芳賀次郎吉が従来の芯巻筆を改良して水筆(現在の毛筆)の製法を広め、またその弟子である佐野重作が改良を加え、今日の豊橋筆の基礎が築きあげられていきました。
豊橋筆の最大の特徴は、「練りまぜ」と呼ばれる原材料の混毛に水を用いて交ぜあわせる工程。この複雑な工程は全て手作業で行われており、これによって穂首への墨のなじみが良く、且つ墨はけが遅いという高級筆が出来上がり、特に書道家や筆の専門家から絶大な支持を得ています。
参照元:
愛知県ホームページhttps://www.pref.aichi.jp/sangyoshinko/densan/501.html
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E6%A9%8B%E7%AD%86