益子焼(栃木県)

 益子焼(ましこやき)とは、栃木県芳賀郡益子町周辺を産地とする陶器の総称。江戸時代の終わり(19世紀の中頃)、茨城県笠間で修行をした大塚啓三郎が益子に窯を築いたのが始まりといわれています。量は豊富にあるものの、粗く精巧な器を作るには向かない陶土だったため、当初は水がめ・火鉢・壺などの日用品が主に製作されていました。一方、創業当初から黒羽藩の殖産事業の一つとして藩の援助を受けており、こうして作られてものは江戸の台所でも多く使用されていました。

 それまで日用品であった益子焼に転機が訪れたのは、大正13年のこと。民芸運動の推進者であり、のちに人間国宝となった濱田庄司(はまだしょうじ)がこの町に移り住んで「用の美」を追求した作品を作り、佐久間藤太郎をはじめ、幾人かの陶工が強い影響を受け、濱田らが唱える「民芸運動」の理念に基づいた民芸品としての益子焼の製造に着手しました。これが、今の民芸陶器として名高い益子焼の基本となっています。

 益子の土は、珪酸分が多く鉄分を含み、可塑性に富み、耐火性も大きいのが特徴です。益子焼では、この粘土を他の成分を加えずに使うため製品自体は厚手になります(材料の性質上割れやすく、重いという欠点もあります)。また、益子焼の土の味わいを引き立てているのが釉薬。益子の土は釉薬ののりが非常によいという特徴があり、様々な技法によって益子焼独特の味わいが生み出されています。

 現在、益子には400を越える窯があり、その大半は益子町以外から移り住んできた作家さんです。ある方は伝統を踏まえた上の発展を、ある方は新しいデザイン感覚でと、様々な作品が焼かれており、益子焼は日々確実に変化しています。

参照元:
益子大陶器市の歩き方ホームページ http://mashiko.life-k.com/basic/history.html
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%8A%E5%AD%90%E7%84%BC

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