明徳元年(1390年)、本願寺5代門主・綽如上人により建立された井波別院瑞泉寺の門前町として発展した井波。江戸時代中期、火災によって失われた瑞泉寺本堂再建の際、本堂彫刻のため京都本願寺より御用彫刻師・前川三四郎が派遣されましたが、この時地元の宮大工・番匠屋九代七左衛門ら4人が前川三四郎の元で彫刻の技法を本格的に習い、それが井波彫刻の始まりと言われています。現在、井波の町には300名近くの彫刻師が居住し、門前町の通りに工房を連ね、日々槌音を響かせています。名工らの子孫によって受け継がれてきた伝統ある「井波彫刻」は、時代の流れとともに豪華さを誇った寺社彫刻から民家の室内彫刻へと移りつつあり、中でも住宅欄間はその主力となっています。
井波彫刻の特徴はその精緻さにあります。井波の職人たちは100~120本の彫刻刀、ノミを巧みに使い分け、木材に魂を吹き込んでいきます。特筆すべきは、工程最後の仕上げ彫りは細かい部分を緻密に彫り、ペーパー類は一切使わず、ノミのタッチだけで仕上げていくこと。井波彫刻の技法は高く評価され、地名入り団体商標に登録されるとともに、国指定の伝統的工芸品にも認定されています。また、全国にある社寺や山車に井波彫刻の技術が用いられるなど、富山県を代表する工芸品となっています。
参照元:
井波彫刻協同組合ホームページ http://inamichoukoku.com/index.html