静岡・府中を流れる安倍川。その支流藁科川の流域は、昔からの良質の若竹や淡竹を産してきました。弥生時代の登呂遺跡から、ザルやカゴが出土され、この地では古くから竹製品が日用品として定着していたことが伺われます。
静岡の竹細工は、かなり古い時代から「駿河細工」と称され親しまれて来ましたが、それが単なる竹細工から、「竹千筋細工」として今日のような精巧な技術となったのは江戸時代末期の天保11年(1840)。華道や茶道、機織に秀でた菅沼一我(号は芳州庵)という人が静岡に立ち寄り、宿泊先「はなや」の息子・清水猪兵衛に技術を教えたことが始まりとされています。この清水猪兵衛は門弟を多数育て、菓子器や虫籠を作って販売し、世間に広めた人物と言われています。明治6年4月にウィーンで開かれた国際博覧会には日本の特産物として出品され、竹ひごのかもしだす繊細な雰囲気、東洋特産の竹の妙技が西欧諸国の特産品をしのぐ好評を博し、これを契機に多くの製品が海外へ輸出されました。
日本には他にも竹製品の産地は沢山ありますが、駿河竹千筋細工の特徴は、丸ひごを使うこと(他産地では平ひごを用いる)。また、一人の職人が技法を駆使し、仕上げまで九分通り作り上げることです。手間のかかる手作業の上、一人前になるのには5~10年はかかると言われています。
参照元:
静岡県郷土工芸品振興会ホームページ http://www.shizuoka-kougei.jp/index.html