本六古窯(常滑焼の他、瀬戸焼、越前焼、信楽焼、丹波立杭焼、備前焼)の一つで焼き物の町として知られている常滑は、愛知県知多半島の中央西岸に位置しています。市の東部に小さな起伏の丘陵地をもち、この丘陵地を利用して平安の昔から数多くの焼き物を焼く窯が築かれました。鎌倉時代には、六古窯最大の窯場(かまば)として水罐など高さ50cmを超えるような大型の焼き物を生産し、大量の陶磁器が伊勢湾に面した港から全国に運ばれたと言われています。
江戸時代後半になると、徳利や急須などの酒器や茶器が作り始められました。常滑焼きの代名詞として広く知られている朱泥(粘土に含まれている鉄分を赤く発色させることにより生まれる)の急須は、幕末文久年間に医師平野忠司が、杉江壽門・片岡二光の二氏に種々意匠を授けて研究を行わせ編み出されました。また、地中にあって水などを送るプラスチックパイプに、かつて焼き物製の土管が使われていましたが、常滑の土管は、江戸時代末期の弘化年間に美濃国江戸藩邸に納めた記録が残されており、明治末年には土管の製造が重要な産業品となりました。それ以来、プラスチックのパイプが普及する昭和時代まで、この地で盛んに製造されました。
現在では、タイルや衛生陶器といった大工場による工業製品から、伝統的常滑焼きである灰釉陶器(かいゆうとうき)の作家作品まで、生活に身近な製品が幅広く生産されています。
参照元:
日本セラミックス協会ホームページ http://www.ceramic.or.jp/museum/yakimono/contents/tokoname/sanchi_tokoname.html