薩摩焼(さつまやき)は、鹿児島県内で焼かれる陶磁器の総称です。豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役、別名やきもの戦争)の際、出兵した薩摩藩17代藩主島津義弘が連れ帰った陶工、金海、朴平意、卞芳仲らの指導により開窯したのが始まりとされています。竪野(たての)系、龍門司(りゅうもんじ)系、苗代川(なえしろがわ)系の3系統が現存しており(過去には5系統ありました)、各窯場では立地条件や陶工のスタイルによって異なる種類の焼き物が焼かれ、独自の展開を遂げました。
薩摩焼は特徴の違いから「白薩摩(別名:白もん)」と「黒薩摩(別名:黒もん)」の2種類に分けられます。白薩摩は白土を用いて焼かれており、白釉を掛けただけのものと、錦手や金襴手を施した豪華なものが作られています。藩や島津家の上流階級だけが使用を許された高貴なものでした。慶応3年(1867年)には島津藩単独でパリ万博に出品しヨーロッパの人々を魅了。白薩摩は「SATUMA」の名で広く知れ渡るようになりました。一方、黒薩摩はもっぱら庶民が使用したもの。鉄分含有量が多い土を用いることから黒くなるため、この名称になりました。多様な釉の技が特徴で、成分の異なる2~3種類の釉を用い、掛け分けにより微妙な変化を出した味わいのあるものが多いことで有名です。
参照元:
日本セラミックス協会ホームページhttp://www.ceramic.or.jp/museum/yakimono/contents/satsuma/sanchi_satsuma.html
陶芸三昧ホームページhttp://www.tougeizanmai.com/tabitetyou/028/rekisi-more.htm