小石原焼(福岡県)

 小石原焼(こいしわらやき)は福岡県朝倉郡東峰村にて焼かれる陶器の総称です。江戸時代初期の寛文9年(1669年)、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に黒田長政の家臣に連れられ日本に来た朝鮮の陶工・高取八蔵の孫である高取八之丞が陶土を見つけ移り住み、擂鉢や甕類を焼いたのが始まりと言われています。当時は彼の名前から、「高取焼」と呼ばれていました。その後、天和2年(1682年)に黒田藩三代藩主・黒田光之が肥前伊万里の陶工を同地に招き、中国の製法にならって磁器が作られました。多くは一般庶民用の日用雑器でしたが、この中国風の磁器と高取焼が合流しお互い影響を与えることで小石川焼(昭和以前は中野焼という名称)が誕生しました。

 昭和29年(1954年)、日本の民藝運動の父と呼ばれる柳宗悦や、日本の陶芸界に大きく影響を与えたバーナード・リーチ(イギリス人陶芸家)らが小石原を訪れ、「用の美の極致である」と称賛したことで、全国に知れ渡るようになりました。日用雑器として歩み続けながら、「用の美」を確立した小石原焼。飛び鉋、刷毛目、櫛目、指描き、流し掛け、打ち掛け等の独自の技法で表現される独特な紋様が特徴的で、素朴で温かい風合が持ち味と評判を得ています。

参照元:
東峰村ツーリズム協会ホームページhttp://toho.main.jp/index.html

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