萩焼(山口県)

 萩焼(はぎやき)は江戸時代に周防・長門の二国を領有する毛利氏の御用窯として発展した陶器。その中でも茶陶(茶の湯で使うための陶器)として有名ですが、その源流は文禄元年(1592年)豊臣秀吉による朝鮮出兵にまで遡ります。茶の湯が上流階級のステータスとして大きく発展した安土桃山時代。これにより茶器の需要が非常に高くなり、それに伴い高麗茶碗が珍重されるようになりました。その折、朝鮮出兵の際に秀吉より技芸ある陶工の招致が指令されたことで、後に萩藩の開祖となる毛利輝元は朝鮮の陶工李勺光、及びその弟の李敬を招き、それが萩焼の礎となって行きました。

 萩焼の素地は、柔らかくふっくらとした質感が特徴です。茶人はこの「土味」を萩焼の茶陶の鑑賞ポイントとしているため、土の風合いを生かした素朴な作風のものが多く、絵付けなどの装飾はほとんど見られません。素地は、釉薬との相乗効果を考えて、見島土、金峰土、大道土の三種類の原土を調製・調合して作られます。また、土の配合、釉薬の掛け具合、ヘラ目、刷毛目などに焼成の際の炎による偶然の効果などが加わり、独特の味が生み出されます。

 茶陶として名高い萩焼には、「萩の七化け」という言葉があります。この表現は、長年使い込むうちに貫入を通してお茶などが器に染み込み、色合いが変化して微妙な味わいが増してくることから生まれました。登り窯で比較的低温でゆっくり焼いた萩焼は、焼き締めが弱くてやわらかく、吸水性に富んでいます。貫入は土と釉薬の収縮率の違いで生じますが、これらにより使い込むうちに「侘(わび)」「寂(さび)」に通じる風情が見られるようになります。

参照元:
萩焼会館ホームページ http://www.hagiyaki-kaikan.com/hagiyaki/index.html
萩陶芸家協会ホームページ http://hagi-tougei.jp/hagiyaki_about/

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