上野焼(福岡県)

 上野焼(あがのやき)は福岡県田川郡香春町、福智町、大任町で焼かれる陶器の総称です。上野焼の始まりは、1602年、西国大名の中でも茶道に造詣が深く、千利休から直接教えを受け「茶禅一味(ちゃぜんいちみ)」の奥義を極めた初代豊前藩主・細川忠興が、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に参加した加藤清正公に従い帰化した李朝陶工・尊階を招き、水質、釉油の採取に最も適した上野の地に登り窯を築かせたことだと言われています。

 尊階は地名にちなんで「上野喜蔵高国」と名を改め、細川忠興の指導により、忠興好みの格調高い茶陶を、細川家が肥後に国替えされるまでの30年間献上し続けました。尊階は藩主の国替えに従い、寛永9年(1632年)に肥後熊本へ移り住みましたが、子の十時孫左衛門、及び娘婿の渡久左衛門は上野に残り、新しい藩主となった小笠原家の庇護のもと、皿山本窯で上野焼を継承。藩窯として幕末まで庇護され、その技術は今日まで続いています。

 茶陶として発展した上野焼は、他の陶器類と比較して、生地が薄く、軽量です。また、使用する釉薬の種類も他に類を見ない程多いことも特徴のひとつ。現在では、茶陶の他に、鉢、皿などの日用雑器も多く焼かれています。

参照元:
上野焼協同組合ホームページhttp://www.aganoyaki.or.jp/index.html

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