別府竹細工(大分県)

 別府竹細工(べっぷたけざいく)は大分県別府市周辺で伝統的に生産されている竹細工の総称です。「日本書紀」に、景行天皇(日本武尊の父)が九州の熊襲(くまそ=九州南部に本拠地を構え大和王権に抵抗したとされる人々)征伐の帰りに別府に立ち寄った際、供の者が良質の篠竹(しのだけ)が多いことを発見し、メゴ(茶碗籠)を作ったという記載があることから、別府竹細工の始まりは紀元前にまで遡ると考えられています。

 本格的に工芸品として扱われるようになったのは室町時代からと言われています。行商用の籠が販売用に生産されるようになり、竹細工の市場が徐々に整備されていきました。また、江戸時代に入ると、日本一の温泉地として別府の名が全国に知れ渡り、多くの湯治客が集まるようになりました。それに伴い、その湯治客が滞在中に使用する飯籠、米あげ笊(ざる)といった物や、湯治客の土産品としても竹製品は好評で、需要の増加と共に重要な地場産業として定着していきました。

 現在、別府竹細工には真竹(まだけ)が主に使用されています。大分県は真竹の生産量が日本一、且つ良質であることも、竹材を利用した竹工芸が歴史的に盛んである一つの理由に挙げられます。時代の経過と共に、大衆工芸から美術工芸へと変遷。技術的な昇華のみならず、造形性を高めた竹工芸作家が多く輩出されるようになりました。1977年には別府市出身の生野祥雲斎(しょうのしょううんさい)氏が竹工芸では初めて人間国宝に指定されています。

参照元:
別府竹製品協同組合ホームページ http://www.beppu-take-kumiai.com/index.htm
別府市竹細工伝統産業会館ホームページ https://www.city.beppu.oita.jp/06sisetu/takezaiku/takezaiku.html

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