秀衡塗(岩手県)

 「秀衡塗(ひでひらぬり)」の呼称は、中尊寺(平泉町)やその周辺に昔から伝わる「秀衡椀」からとったもの。平泉町に栄華を極め、中尊寺金色堂をはじめとする仏教美術をこの地にもたらした奥州藤原氏にその起源を発しています。奥州藤原氏第3代当主・藤原秀衡が京より職人を招来し、この地方特産の漆と金をふんだんに使い、器を造らせたのが由来とされています。寛政年間に書かれた大槻玄沢の「磐水漫草」や黒川真頼の「工芸資料」などに「秀衡椀」として紹介され、江戸の茶人にも珍重されたと記されています(ただし、現在では発掘により工房が存在したことは確認されていますが、藤原氏滅亡以後数百年の歴史は定かではありません)。

 江戸時代後期からは平泉町隣村の衣川村で漆器が盛んに製造されていましたが、昭和30年の衣川ダム建設によって産地分裂となり、現在に至っています。下地は最も丈夫と言われる本堅地(ほんかたじ)を使用。加飾は秀衡椀を模範に、「源氏雲」という雲形の模様や、春夏の草花や果物、またいくつかの菱形を組み合わせた「有職菱文様」が描かれます。菱形の金箔を使い、漆絵でデザイン化した雲や草花が描かれたこの特徴的な模様は「秀衡文様」と呼ばれ、素朴ながら華麗な味わいを見せてくれます。この地方は、漆と金の特産の地でもあったことから、金箔を用いた造りが受け継がれ、朱と黒と金の基調の中に春秋草花紋が配された光沢を抑えた仕上りが、漆本来の美しい艶を生み出しています。

参照元:
東北経済産業局ホームページ http://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/iwate_03.htm
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%80%E8%A1%A1%E5%A1%97

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