川連漆器(秋田県)

 鎌倉時代、農業主体の川連(かわつら)村(現在の湯沢市)は1年の半分は雪に覆われ、何か副収入を得なければ生活できないほど困窮していました。その折、平氏討伐に出陣し、大きな手柄をたてた源頼朝の家臣である小野寺重道公がこの地を支配することになました。小野寺氏は稲庭に居城し、その弟である道矩は、古四王野尻(現在の川連町大舘地区)に館を築き、家臣に命じて刀の鞘(さや)、弓、鎧などの武具に漆を塗らせたのが「川連漆器(かわつらしっき)」の始まりとされています。本格的に漆器産業が始まったのは17世紀中頃、元和(1615年)から元禄にかけてであり、川連村を中心に約26戸が椀師稼業を営んだとの記録が残っています。

 文化12年(1815年)、藩の許可を得て朱塗りの漆器をつくり販路を他国に開きました。また、江戸時代後期には藩の保護政策のもとに、武具だけでなく、椀、膳、重箱など幅広い漆器がつくられるようになり、沈金、蒔絵などの飾りが加わって、産業基盤をさらに大きく築き上げていきました。

 川連漆器の特徴は、何回も繰り返される「地塗り」と「中塗り」を経て、塗り立てと言われる「花塗り」で仕上げ乾燥することです。花塗りは、研がずに乾燥させ滑らかな表面を出す高度な技術で、塗りムラが出ないように刷け目を見せずに漆を均等に塗るのは、熟練した職人技の為せる業。原木から製品になるまで約30もの工程を経て出来上がる川連漆器は、堅牢で普段使いの漆器として知られています。現在、川連漆器の主流は椀であり、6割以上を占めていますが、幅広いアイテムの開発も精力的に行っています。

参照元:
湯沢市川連漆器伝統工芸館ホームページ http://www.kawatsura.or.jp/history03.htm
東北経済産業局ホームページ http://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/akita_02.htm

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