甲州水晶貴石細工(山梨県)

 甲州水晶貴石細工(こうしゅうすいしょうきせきざいく)は、山梨県甲府市及びその近郊で、水晶、めのう、ひすい、黒曜石、碧玉といった天然貴石に彫刻と研磨を施した製品です。平安時代、昇仙峡(しょうせんきょう:国の特別名勝に指定されている甲府市北部に位置する渓谷)の奥地・金峰山で水晶の原石が発見されたことが、甲府での水晶細工の起源となりました。発見された当時は原石のまま信仰の対象や装飾に使われていた過ぎませんでしたが、やがて細工を施すようになり、武田勝頼(武田信玄の次男)の遺品の中に水晶数珠が残っていることから、戦国時代には既に水晶細工が行われていたものと考えられています。

 江戸時代末期の天保年間(1831~1845年)、京都より玉造りの職人を迎え、甲州研磨と呼ばれる鉄板の上に金剛砂をまいて水晶を磨く方法が考案されたことで、甲州での水晶細工が本格的な産業に発展していきました。安政年間(1855~1860年)には水晶や翡翠を使った数珠や帯留め、根付けなどへの用途も開発され、産地として確固たる地位を確立するに至りました。また、明治になると、国の殖産興業政策も手伝い、甲府市は「水晶の街」として全国にその名前が知られるようになっていきました。

 古くから信仰の対象や貴族の装身品として水晶細工が行われていた甲州。現在でもその心は綿密に引き継がれており、他に類を見ないほど豊富な貴石を使った多様な作品が生み出されています。

参照元:
山梨県水晶美術彫刻協同組合ホームページhttp://www.suishou.jp/index.htm
山梨県の郷土伝統工芸品ホームページhttps://www.pref.yamanashi.jp/shouko/kogyo/densan/suisyo_01.html

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