東京銀器(東京)

 日本人と銀器の歴史は古く、飛鳥時代の668年に近江国に建立された祟福寺の塔心礎から出土した舎利容器(国宝に指定されている)の中箱が銀で作られています。また、平安時代の916年に編纂された格式である延喜式の中に銀製の食器や酒器の記述が見られます。

 銀のほとんどは輸入に頼っておりましたが、天文2年(1533年)に石見銀山で新しい銀の製錬法が開発されてからは、戦国大名達によって日本各地で銀山が掘られるようになり、国内産出量が急速に増大していきました。ただし、当時、銀製品を使用することができたのは一部の上流階級のみ。一般庶民にまで銀器、銀道具が広まっていったのは、江戸の町人達の経済力が高まり、町人文化が最盛期を迎える元禄時代(1688~1704年)頃と言われています。

 この元禄時代以降、彫金師の彫刻する器物の生地の作り手として「銀師(しろがねし)」と呼ばれる銀器職人や、櫛、かんざし、神興(みこし)金具等を作る「金工師」と呼ばれる飾り職人が登場しはじめ、これが「東京銀器」の始まりへと続いていきます。江戸でこれらの職人達が育った背景には、貨幣を作る金座・銀座があったこと、また各大名が集まる政治・経済・文化の中心であったことが挙げられます。江戸中期に公布された「徳川禁令考」として、かんざし、櫛、きせる等に金、 銀の使用を禁じた御触れが出たことなどからも、当時町人の間で銀器、 銀道具が普及していたことが分かります。

 江戸の粋な心と技を今に伝え、貴金属のもつ優雅さと高級感を併せもつ東京銀器。無害でもあることから、現在でも装身具、洋食器、置物、器物、仏具など日常生活に広く使われています。

参照元:
葛飾区伝統産業館ホームページhttp://www.dentosangyokan.com/page/
日本伝統文化振興機構ホームページhttp://www.jtco.or.jp/japanese-crafts/?act=detail&id=135&p=2&c=5

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